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守山パーク&ウォーク2022 3年ぶりに開催されました。

5月22日~29日まで、守山パーク&ウオークが3年ぶりに開催されました。開催期間中にほたるの森への来場者延べ数は、およそ1万人ほど。特に、人出の多くなる土日には、一気に2千人が集まったため、駐車場もいっぱいとなり、受付から森の入り口まで長蛇の列ができて森に入るまでの待ち時間がこれまでになく長くなっていたようです。それでも、美しい蛍の光に魅了されたと多くの感想が寄せられました。コロナ禍での開催となり心配が重なりましたが、多くの人に喜んでいただき盛会のうちに無事終了しました。

 

2022年 資料館の羽化第1号は、ビオトープ水槽育ちのメスです

 5月5日に、展示室のビオトープ水槽で羽化第1号のメスが誕生しました。しかし、なかなかオスが誕生しないため、JNC守山工場のほたる研究室からオスを提供いただきました。小さなビオトープ水槽の中で、このメスとオスがカップリングに成功し、5月10日には、水槽内の苔の上に産卵しました。

この卵から生まれたふ化幼虫はあまりに小さくて目に見えませんが、水槽の水の中に上手に落ちてくれようです。カワニナをどんどん食べて順調に成長をしているはずです。幼虫の姿を目視できるまで、あと数か月。

 因みに、ほたるの森での初飛翔観察日は、5月7日でした。

  

2022年資料館の羽化第1号のメス       カップリングに成功!

守山市ほたるの森資料館とは

守山市ほたるの森資料館の紹介

守山市ほたるの森資料館は、ゲンジボタルの保護と水環境保全の啓発を目的に、ゲンジボタルの人工飼育を行い、展示室では、ビオトープ水槽とホタルの標本や展示パネル、ホタルに関わる資料・文献などから、ホタルについていろいろと学習することができます。

 2020年には、資料館設立30周年を迎え、より面白くわかりやすいホタル情報の提供とともに、たくさんの方々にホタルの美しさを知り関心を深めていただけるように展示室やホームページのリニューアルを行ってきました。

 また、資料館の横には、人工のほたる河川が流れ、30年前に旧野洲川から移植された木々が今では大木となって茂り、この周辺は「ほたるの森」と呼ばれています。ほたる河川が流れるこの森は、ほたるの飛翔する時期には全体が幻想的な雰囲気につつまれていきます。森の中に敷設されている木道を散策すると、四季折々の自然を楽しみながら、多くの生き物に出会うことができます。

 

ゲンジボタルの人工飼育と育成事業

・ゲンジボタル幼虫の人工飼育 

 守山市ほたるの森資料館では、ホタルの人工飼育と育成指導を行っています。資料館飼育研究室で育てた幼虫を、市民や子どもの環境学習や自治会へ目的と要望にあわせて提供し放流の支援をお願いしています。他にも資料館のほたる河川への放流をしています。

毎年、市民調査員によるホタル飛翔調査結果をもとにした「ほたるマップ」の作成をして飛翔結果をまとめています。また、ホタルを取り巻く環境の調査や研究もおこない、市民への啓発にも努め全国ホタル研究大会などで研究発表をしてきました。

 資料館で育てた幼虫を市内各所に放流をして飛翔を観察してきたことにより、市民の間でホタルへ憧れや水環境への関心を高めることができました。


これからも幼虫の飼育と研究を続け、
資料館のほたる河川や市内河川でのゲンジホタルの自生をめざしています。

 

 ★ゲンジボタル幼虫の飼育方法を紹介します。当館では、概ねこの方法により幼虫を飼育をしています。

守山ボタルの歴史

・守山は、かつてホタルの群生地だった 

 

 繁盛しているほたる問屋(桜井屋)の風景

守山ボタル天然記念物指定標柱


守山は、古くからゲンジボタル(守山ボタル)の群生地として知られていました。
1902(明治32)年から天皇陛下への献上が始まり、守山ホタルはますます有名になっていきました。大正時代から昭和のはじめには、ホタル祭りが盛大に行われ、京阪神から多くの人々が特別列車に乗ってホタルを見ようと守山を訪れました。
さらに、
ホタルが有名になった守山には、明治時代になるとホタルを売り買いするホタル問屋がたくさんでき、ホタルの乱獲が続きました。1924(大正13)年129日には、乱獲を防ぐために守山ボタルは「天然記念物」に指定され、第1号「天然記念物指定地」との看板がかかげられたのです。
しかし、経済の発展とともに、生活排水・工場排水・毒性の強い農薬などが、ホタルの生息する水路の水を汚染していきました。こうしたいろいろな要因が重なり、守山からホタルが次第に姿を消していったのです。そのため、1960(昭和35)年には、国の天然記念物の指定を解除されてしまいました。

 

南喜市郎と守山ホタル

ホタル研究に没頭する南喜市郎

 南喜市郎氏は、1896(明治29)年10月23日守山市守山町(泉町)に生まれ、旧滋賀県立八幡商業学校を卒業後、家業の醤油製造業を手伝っていました。1919(大正18)年、本山彦一氏(元大阪毎日新聞社社長)が守山を訪れた時に、ゲンジボタルの研究を勧められた。その後、岐阜の昆虫学者である名和靖氏の依頼で、守山での生態調査の案内役をし、調査研究に協力しました。それ以来、調査研究に没頭し、河川での調査でゲンジボタルの幼虫が巻貝のカワニナを食することを発見しました。
さらに、人工飼育にも取り組み、1958(昭和33)年に室内飼育により初めてホタルの羽化に成功しました。1961(昭和36)年には、これまでの40年間の研究観察のまとめを「ホタルの研究」として著しました。この本は、今でもホタルについて多くのことを私たちに教えてくれています。

 また、喜市郎は、ホタルの研究をしただけでなく、ホタルの保護活動にも力を入れました。1968(昭和43)年には全国ホタル研究会のもととなる全国ホタル同好会を発足させ、初代会長に就任するとともに守山で第1回研究大会を開催させた。南喜市郎の調査研究の成果や保護活動が、現在の守山のゲンジボタル復活に繋がっているのです。

南喜市郎の年譜 南喜一郎氏 年表

ホタル保護のための啓発事業

・ホタル保護の啓発事業

守山市ほたるの森資料館では、市民のホタルの保護活動への理解と協力をえるために、
年2回の環境学習会開催や研修を実施し、自治会やCSR促進企業への技術協力などを通じた啓発活動をしています。   2021年度第1回環境学習会


また、幼稚園、小中学校でのホタルを中心とする自然観察や環境学習の指導と環境教育に携わり、
水環境保全と「ホタルの住むまち、ふるさともりやま」をめざしています