寛正6年(1465)蓮如は、金ケ森に移り住み寺内町ができました。 その後、元亀2年(1571)湖南の一向宗徒は、この寺内町を拠点に信長と死闘をくりひろげました。 信長は金ケ森合戦の翌年、金森の復興のために楽市楽座令を出しています。 |
信長直筆の楽市楽座令 |
蓮如は戦乱の京都を脱出、道西(金森に道場主)の招きで金ケ森へ。 湧水を環濠として利用した寺内町(道場を中心に二百余家が生活をともにした城塞都市)が生まれました。 |
信長の進撃に、湖北、湖東、湖南の一向宗徒が決起。 湖南以外はすべて惨殺される中、金ケ森と三宅に参集した一向宗徒は八日間に及ぶ戦闘の末、決着がつかず和睦しました。 |
信長の楽市楽座令は、金ケ森に集まる荷物には課税しないなどの金森再興策です。 |